神社を参拝するときの私的作法

こんにちは、コジです。初詣やお宮参り、旅行に行った先でなど、私たちは神社でお参りをする機会が割とありますよね。何か願い事があって、その願い事にご利益があるという神社へ足を運ぶこともあるかもしれません。

私も神社のピリッと清められた空間が好きなのでしばしば行くんですが、そんなときは、自分がこの神社に祀られている神様にご挨拶するのに足る人間だろうかと考えます。そして、中身はともあれ、せめて礼儀正しく、失礼のないようにしたいと思います。例えば、自分が尊敬している人に会える機会がめぐってきたら、失礼のないように、その場にふさわしい態度で行動しますよね。それは神様に対しても同じですから、私は、神社をお参りするときは以下のようなことに気をつけているんです。

手水舎でのお清めの作法

まずは、基本中の基本であるお清めです。神様の領域に入る前に、穢れを中に入れないようにするため、自分の身をきれいにします。

日本では家に入るときに靴を脱ぎますし、コートなどを着ていたら外で脱いでから入りますが、これも穢れを外から内に入れないためなんじゃないかと思います。

私は、以下のようにして手水舎できっちりと身を清めています。(わかりやすいように、汚い状態のものをグレーで、清められたものを水色で表示しています。)

柄杓右手に持ち、水を1回すくう。(汲むのは1回だけ)

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その水で左手を清める

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柄杓を左手に持ちかえて、右手を清める

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再度右手に持ちかえて、左手に水をため、を清める

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が直についたため、また汚れてしまった左手を再度清める

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これで、右手左手がすべて清められました。

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そうしたら、今度はお清め前の汚い手で触ってしまった柄杓を清めるため、柄杓向きにして残った水を柄に伝わせ、柄杓を清める。これをしておくことにより、次の人がきれいな柄杓を使うことができます。

この作法は、茶道で茶席に入る前につくばいを使うときの方法とよく似ています。
作法や型というのは道理に添った形で整えられているので、目的が同じなら方法も似てくるんでしょうね。

お参りの作法

次に、ついにご対面~! 神様にお参りをするときの作法です。

前に進み出て軽く一礼

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お賽銭をそっと賽銭箱に入れる(金額は気にしない)

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があれば鳴らす

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起立の姿勢から90度に腰を折って二礼

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二拍手右手を少し下にずらす)

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自分の住所・氏名を述べ、まず感謝の気持ちを伝える(願い事をしたい方は、感謝の後に)

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90度に腰を折って一礼

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一歩下がって軽く一礼したら、そのまま下がる

これは私なりのやり方なので、正解なのかどうかはわかりませんが、何度も神社に行く中で、今はこの流れで落ち着いています。一般に推奨されている方法とちょっと違うところだけ、若干補足しておきたいと思います。

私はお参りの前後に軽く一礼するんですが、これは、二礼二拍手一礼でひとまとまりの型みたいなものと理解しているからなんです。なぜ90度に腰を折るのかというと、天と地をつなぐというような意味があるとも聞きました。私はそれで、ついつい前後に挨拶のための軽いお辞儀をしてしまうんですが、正式なことはわかりません。

あと、お賽銭の金額は神様の知ったこっちゃないと私は思いますので、そのときお財布に入っている硬貨をポケットにざばーっと入れて、そこからそっと賽銭箱に入れるようにしています。いちいち財布を出し、そこから縁起がいいと言われる金額の硬貨を選び出しているより、ポケットからスッと出したほうが美しいかなと思ったりするわけです。

その他、私が気をつけていること

お清めとお参りが神社参拝のコアですので、以上の2点を押さえれば失礼はないと思うんですが、ほかにも私が気をつけたほうがいいんじゃないかと思うことがありますので、少しご紹介しておきたいと思います。

鳥居をくぐるごとに一礼

鳥居をくぐるときは必ず一礼します。

入るときは、鳥居の手前で一礼。出るときは、鳥居を一歩出て、振り返って一礼です。

お参りが終わってやれやれと気が抜け、鳥居を出るときの一礼をうっかり忘れないよう注意が必要です。また、初詣などで混雑しているときは、周りの参拝者の邪魔にならないように、ササッと動きましょう。なれてくると動きに無駄がなくなるので、素早くきっちり一礼できるようになるかと思います。

木などに触らない、余計なことをしない

神社には、神聖なパワーを持った木や石や岩や水場があります。昨今では「パワースポット」などと言われ、エネルギーをもらうとか、癒してもらうとかいうことで、木に抱きついたり、岩に触ったりしている人がいますよね。また、どういう方なのかは存じませんが、祝詞を奏上したり、笛などを吹いたり、液体をまいたり、何かを埋めたりしている人も時々見かけます。

皆さん、尊敬する人の家へ行ったとき、いくら素敵だなと思っても、調度品をむやみにべたべた触ったり、勝手に場所を変えたり、もっとよくなるからと自分のものを勝手に置いて帰ったりしますか。しませんよね。

これと同じで、私は、パワーがあって好ましいなと思う木や石などがあっても、近くで立ち止まる程度にとどめています。というか、それで十分パワーを感じることができると思うし、物理的にも、人間の脂などで木や石を傷めずに済みます。手をかざすことすら、めったにしません。

人間が過剰に触ることでパワースポットがエネルギー的にどろどろになり、力を失うこともあるようですから、パワースポットに長くパワースポットでいてもらうためにも、そういったものは大事に守りたいですよね。

ましてや、エネルギー的にいろいろ力を加えるのは、より危険な行為です。もし生半可な知識で余計なことをしたら、大変なことになってしまいます。きちんとした神社なら、そういったことは神官さんが全部なさっていますから、一般の参拝客は何もする必要ありませんし、むしろ余計なことをするとバランスが崩れてしまいます。ヤバい神社なら、下手につつくと、自分やほかの参拝者にまずいことが降りかかるおそれがあります。

だれしも当然よかれと思ってやっているんでしょうが、私は特別な能力があるわけではないので、余計なパフォーマンスはなるべくしないようにしています。あと、「これを触るとこういうご利益があるよ」というような像なども、実は極力触りません。我欲いっぱいでいろんな人が触っているので、変なエネルギーがうつりそうな気がして……。気にし過ぎですかね。

伝えたいのは感謝の気持ち

お参りの際、私は、ほぼどの神社でも、住所と氏名と、その場所に来ることができたお礼と、「いつもありがとうございます」という感謝だけ伝えています。「ほぼ」と言ったのは、伊勢神宮などでは住所と名前も言わないことがあるからです。

昔はいろいろ願い事をしていたんですが、もしそれがかなったとしても、私にとって真によい結果につながることばかりでもないので、もう最近は神様にお任せしているんです。神様たちは基本的に、私たちが実り多き人生を歩めるよう、また、よりよい人間に成長するよう導いてくださるのかなと思うので。

あと、実は自分の願い事が何なのかよくわからなくなってきたということもあります。お参りをする段になって、神様の前で「ここで伝えるべき私の真の願いって何だろう」と考えていると時間ばかりかかるので、「まぁいいや、お礼だけ言えれば」みたいになっちゃうんです。個人的な希望から世界平和、人間だけにとらわれない宇宙的調和まで、一口に願いといっても幅広過ぎるんですよね。何らかの願い事をすることを目的として、完全にピンポイントでその神社へ行くときを除いて、私は大体お礼だけになっちゃっています。

スピリチュアル系の能力がある人の中には、人間の欲が渦巻いているし、もう神様が本当にいる神社は少ないから、神社へは行かないという方もいますが、それでもまだ気持ちのいい神社はあります。礼儀正しくお参りし、心静かに自分を振り返る機会にしていただければと思います。

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