こんにちは、コジです。今日は、私が思考の迷宮にはまり込み、ぐるぐると同じネガティブな考えにとらわれていると気づいたときに読むコミックをご紹介します。
それはさくらももこさんの『コジコジ(COJI-COJI)』です。
『コジコジ(COJI-COJI)』ってどんな漫画?
作者のさくらももこさんは、1965年、静岡県生まれ。言わずと知れた『ちびまる子ちゃん』の作者です。『ちびまる子ちゃん』も大笑いしながらリアルタイムで読みましたが、すべてがミリオンセラーを記録した初期のエッセイ集三部作、『もものかんづめ』、『さるのこしかけ』、『たいのおかしら』も、当時楽しく読みました。
『コジコジ』が発表された時期は、一部「ちびまる子ちゃん」と重なっており、1994年~1997年のことでした。舞台はメルヘンの国で、そこに住む仲間たちが送る日常生活を描いています。
とはいえ、内容は決して甘いものではなく、なかなかパンチがきいています。
魔法が使えたり、姿が人間とはかけ離れていたりして、一応メルヘン的な要素はあるんですが、ナンセンスなギャグあり、少しブラックな大人向けの描写ありで、「えっ、これを子供に読ませていいの?」と思ってしまうようなシュールさがあります。別に笑わせようとしているわけでもありません。
子供にとっては、「絵がかわいいから読み始めたけど、内容がよくわかんないな」という漫画かと思います。実は私も、子供のころはこの漫画のことをそう思っていました。ですから、はまったのはむしろ大人になってからなんです。世の不条理などもふんだんに描かれていて、哲学的というか、どちらかというと大人向けと言えるでしょう。
ただ、私が思うに、これが今の子供たちの現実の世界なのかもしれません。コジコジは、このストーリーの中で学校に通っており、それぞれ全く違ったいろんな特徴を持つ友達と一緒に過ごしています。
かわいくて賢い子、悪知恵でほかの友達から金銭を搾取しようとする子、人に言えない理由でひどく心を痛めている子、お金持ちの子、地味で目立たず鬱々としている子、熱い恋心をたぎらせる子、いつも見えすいたうそをつく子などが絡み合い、個別の要素はメルヘンながら、時にシリアスに話が展開していきます。
そんな中、さくらさんは、コジコジの性格設定として、「つかみどころがなく、別にいいことも悪いこともしない」としています。フラットなコジコジがこの個性渦巻く学校の仲間に混じることにより、プラス要素とマイナス要素が互いにうまく溶け合って、極端な方向へ偏らない世界が構築されていきます。
現代の学校、特に小学校や中学校では、コジコジ的な存在がいないために、プラス要素とマイナス要素がぶつかり合ったり、マイナス要素同士が増幅し合ったりして、いろいろな問題が起きているのではないかという気がします。友達の子供の話などを聞いていると、なかなかグロい状況が繰り広がっているようで、ハイテク機器も駆使しておこなわれる本性むき出しの子供同士のやりとりに空恐ろしさを感じる私です。
それはさておき、「いいことも悪いこともしない」という、これが本当に真理を突いていると思うんですね。いいことをしようと無理に頑張らなくていい。そして、悪いことはしないように気をつけないといけない。
自然にいいことをしちゃったら、それはそれでよしで、変に捉われずにさらっと忘れる。うっかり悪いことをしちゃったら、なるべく早く謝って、リカバーできるものはリカバーする。他人のしたことについては、いいことも悪いことも必要以上に反応しない。それだけでいいのだと、コジコジはそんなことを思い出させてくれます。
ぐるぐる考えてしまってネガティブな思いから抜けられないときは、やはり自分が特定の思考回路につながれてしまっているんでしょうね。たいてい何らかの出来事があって、不安や恐怖が急に襲ってきたり、無力感にさいなまれたり、自分に自信がなくなったりするわけですが、どんな理由でそういう状態に陥っていても、これを読むとニヤッとして、ちょっと元気になります。一旦自分の状況を外から眺め、「ま、全部受け入れるしかないんだな」と、改めて腹が据わります。
自分の気力が落ちてしまっているときは、立派な人や立派な考え方はなかなか受け入れられないものです。きれいごとに思えてしまうんですね。決して「きれいごと」ではなくて、本当にすばらしいことだとしてもです。そういうときには、立派なキラキラした作品よりも、こういう雑然としたナンセンスなものが絶妙に心にしみます。
私のハンドルネームは「コジ」ですが、コジコジの半分ぐらい好きなことを言って、コジコジの半分ぐらい脱力して自由に行動できたら最高だなと思ったりしています。