「イサム・ノグチ」展からの「縄文」展!

こんにちは、コジです。突然涼しくなって過ごしやすくなりましたね。今年は秋がなく、夏からいきなり冬になるみたいな話もちらっと耳にしましたが、日本列島、大丈夫なのか?

さて、芸術の秋にはまだ少し早いのですが、東京へ行く用事ができたので、すかさず幾つか展覧会へ行ってきました。(展覧会へ行くために用事をつくったんじゃないかって話もありますが……笑)

イサム・ノグチ ―彫刻から身体・庭へ―

まず一つ目は、東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「イサム・ノグチ ―彫刻から身体・庭へ―」です。

何でも使う人

私、これまでイサム・ノグチのまとまった展覧会を見たことがなかったんですが、まず、こんなに多岐にわたる作品を生み出した人なんだなと驚きました。

水墨画のようなドローイングも描けば、陶器、金属、木、石といったあらゆる素材を使い、手に乗るような小さなものから、宇宙から鑑賞するような大きなものまで、とにかく何でも手がけている!

そして、商業的な量産できるようなものがある一方で、全く観念的なものもありました。

撮影可だった作品を少し紹介しますと、

例えば、岐阜提灯「あかり」のシリーズは、デザインとして現在も普通に販売されています。これ、結構よく見ますよね。

ほかにも、少し探しただけで、テーブルやマグカップなど、いろいろなものが商業ベースに乗っていました。

その一方で、下の写真の「アーケイック」や、次の「ミラージュ」のような、自然崇拝というか、大地の恵みに対する畏敬を感じさせる重厚な作品群があります。

何と、このオベリスクのような玄武岩の作品、手磨きなんだそうです。切り出された石を加工したのでなく、もともとは土に埋まっていた卵型の石の塊を使っているとのこと。確かに、それぞれの面が平行じゃないんですよ。上に向かって少し開いているのがわかるでしょうか。しかも、上と下には埋もれていたときの形がそのまま残してあります

石って割と冷たい感じのする作品が多いのですが、これは、磨き方によるものなのか、逆に温かみを感じる作品でした。

また、この「ミラージュ」という作品は花崗岩ですが、平らな面からまるで盛り上がってきたかのようにぽこっと膨らんでいるところがあるんです。膨らみの部分にノミ跡が丹念につけてあるからなのか、ここでまだ細胞分裂を繰り返して育っているかのように見えます。

横から見るとこんな感じ。水面の泡みたいですね。

日本の文化の影響

今回の展覧会を見ていて、いろいろなパターンの作品があるとはいえ、彼の作品に通底しているのは自然への畏れや敬いみたいなもののような気がしました。

素材の加工は最小限にとどめられ、フォルムはどこか丸い。無理がないというか、素材がなりたい形になるよう手助けしているというか、見ていて静かに落ち着く作品だなという印象を受けました。

なぜだろうと思っていたら、この人が日本文化をすごく吸収しているからだということがわかりました。日本に来て以来、寺社の石庭、古い土器や埴輪、神道、相撲、茶道、華道といったものから日本古来の精神にたくさん触れたのだろうと思います。

先ほどの「あかり」もそうですが、このブロンズ板の作品も、折り紙から着想したそうです。

道化師のような高麗人参」(どこら辺が人参なのか、いまだわからず)

リス」 写真だとわかりにくいのですが、真っ直ぐの板がところどころで折れています。

生粋のアーティスト

日本人の詩人の父親とアメリカ人の編集者の母親のもとに生まれたイサム・ノグチは、恐らく自分のアイデンティティに思い悩んだころもあったことでしょうが、その年表を見る限り、とても人に恵まれた人生であったように思えました。

アメリカ人のお母さんは、とてもいい教育方針を持っていて、イサムがアーティストになりたいと言うと、その方向へと進めるように導いています。父や義兄弟とも割と関係は良好のようで、協力して芸術活動にいそしんでいる様子が伺えました。

そして、バックミンスター・フラー、マーサ・グラハム、ブランクーシ、フランク・ロイド・ライト、丹下健三、北大路魯山人、岡本太郎など、才能ある多くの人々と交流したり、山口淑子との短いながらも幸せそうな結婚を初め、フリーダ・カーロなどたくさんの魅力的な恋人がいたり、とても刺激的な生活を送っていたように見えます。

それもこれも、イサム・ノグチの人柄と才能が、多くの魅力ある人々をひきつけたのでしょう。彼自身も人間が好きだったのだろうと思います。

何はともあれ、この展覧会では、自然の美を礼賛し、畏敬の念を持って真っ直ぐに作品をつくるイサム・ノグチの姿勢に感動しました。

縄文 1万年の美の鼓動

2時間ほどイサム・ノグチ展を堪能した後は、上野へ移動し、念願の縄文 1万年の美の鼓動」展へ!!

なるべく混雑を避けるため、金曜の5時を目指して東京国立博物館へ行きました。予想どおり、並ぶこともなくすんなりと中へ入ることができましたよ! 澄んだ空!

私、何を隠そう、実はここしばらく縄文の美のとりこになっておりまして、この展覧会へは必ず行こうと決めておりました。ああ、ついに私の心をわしづかみにしたあの火焔型土器の実物を全方向から見られるなんて! 本当に夢のようです。

間違いなく美の原点がここにある

縄文時代というのは石器時代が終わった1万3,000年ほど前から1万年続いた時代のことをいうんですが、今回これだけのまとまった縄文時代の出土品を見て、超大昔に既に今ある美の原型が完成してしまっていることに、まず驚きました。

日常の暮らしの中で使う器から、アクセサリーや土偶のようなものまで、もう今あるものとほぼ同じ形ができ上がっています。いや、むしろ縄文時代のほうが美しいぐらい。

土器を一つ一つ見ていると、もう工芸品だよねと思うような繊細な細工がいろいろな手法によってほどこされています。釣針や槍の先端などの狩猟道具でも、いい仕事ですねぇ~!と思わずうなるような仕上げのよいものもあって、プリミティブなのに、どこか気品がただよっているんです。

自由につくったように思える火焔型土器にも、きちんとそれぞれ規則性があり、ため息が出ます。全体的に線は丸く、躍動感があり、実際に使うのにはどう考えても邪魔な火焔のごとき突起が口縁の部分にこれでもかと盛ってあります。火焔の部分が中空になっているものもあって、どうやってつくったんだろうと思います。

イヤリング、ネックレス、髪飾り、腕輪なども出土していて、きっと指輪のようなものもあったんだろうなと思いました。顔には刺青もしていたみたいです。

女性を飾るものが数多く出土しているようで、土偶もほとんど女性がモチーフのようですし、縄文時代は女性が中心となって回る社会だったのかなと思いました。これは今とは逆ですね。特に日本の場合、いまだに男性社会ですもんね。

おったまげの縄文説

縄文時代が1万年もの長きにわたって持続したことは、もちろん地球の気候が温暖になったことや、煮炊きの技術を習得して食生活が改善されたことなども原因なのでしょうが、やはり自然との共生ができていて、戦争がなく平和だったことが大きいのではないかと思います。

すべて自然に還る素材でものをつくり、必要なものを必要なだけ使って、女性を中心にしなやかな社会を築いていたんじゃないかと想像します。まさに、先日ブログに書いたSDが達成されていますね。縄文時代に還ろうとは言いませんが、学ぶところは大きそうです。(参照:最近のトレンドは「SDGs」らしい!

ただ、SD的観点から眺める一方で、未発達の人類が、本当に突然そんな賢い知恵を生み出せるんだろうかこれほど美しい造形をつくれるようになるんだろうかという一抹の疑念も残りませんか?

私は、今回ものすごい縄文パワーに触れ、図録の裏表紙を飾る遮光器土偶なんかを見ていたら、昔本で読んだ宇宙人飛来説もまんざら捨てたものではないんじゃないかと思ってしまいました。

(↓ついつい買ってしまった図録とクリアファイル)

古代の地球に宇宙人が飛来し、未発達な人類に知恵を授けた(もしくは人類を創造した)。そして、それらの宇宙人が神としてあがめられたみたいな話です。たしかそんな映画もあったような気がしますが、皆さん、聞いたことありませんか?

この遮光器土偶って、確かに何だか宇宙服を着ているみたいですよね。当時こんな服があったとは思えませんし、刺青にしては体型がおかしいので、全く違う世界から来た宇宙人だというのなら、そのほうが自然な気がしちゃいます。

昨今ではアメリカも宇宙船や宇宙人がいることを公に認めつつあるようですから、もしかしてもしかすると本当にそうなのかもしれません。私の知り合いにも、UFOをしょっちゅう見る人がいますしね。

なーんて、そんな荒唐無稽なことまで思わず考えてしまうようなパワーみなぎる展覧会でした。久々に感動で魂が震えました。こんな展覧会はめったにありません。行けてよかったし、可能ならば二度三度と行きたいぐらい! 秋にはパリへ巡回するそうですが、パリへはなかなか行けませんもんね。どなたにもオススメします

3時間ほど滞在し、なるべく買わないようにしようと思っているのに、ついつい図録を買ってしまい、クリアファイルも買ってしまい、しかもガチャガチャまでしてしまった。ガチャガチャって魅惑的よね。これもぜひパリに持っていってほしい。

この10種類のうち、私は上段右から2番目の黄色いのが当たりました。わーい!シャコちゃんだー!(言わずと知れた遮光器土偶のシャコちゃんですね) 何か嬉しい・・・。

帰るころには日もとっぷり暮れ、涼しいが吹いて美しいが出ていました。この風と月は縄文のころと同じものなのだろうかなんてロマンチックなことを考えながら、すばらしい展覧会を開いてくれたトーハクさんに感謝しつつ辞去。

この展覧会の最後の章で、多くの作家や芸術家たちが縄文を愛し、自分の創作につなげていった例が紹介されていましたが、イサム・ノグチもまた縄文の美に心を揺さぶられた一人に違いありません。超古代から現代へと脈々とつながる美を感じる最高の一日でした。

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