こんにちは、コジです。現在、愛知県美術館で開催中の「長沢芦雪展」を見に行ってきました。
応挙、蕭白、若冲と、18世紀後半の京都の画家たちが嫌いではないものの、昨今のにわかな若冲人気に少しうんざりしていた私は、今回の芦雪展は行かなくていいかなと思っておりました。
でも、行ってよかった! すばらしい展示でした。
応挙の弟子、芦雪
私、長沢芦雪は応挙の弟子だということも知らなかったんですが、今回の展示を見たことにより、そのことが強く記憶に残りました。
何カ所か応挙の絵と芦雪と絵が並べて展示してある部分があったのですが、それを見ると、応挙から学んだ芦雪が、そこからどう自分の絵を展開していったのかがよくわかります。もちろん応挙の絵は息をのむほどに端整で、全く隙がありません。それも本当にすばらしくて、芦雪の絵だけでなく応挙の絵と相まって楽しめてしまうことが今回の展覧会の優れた点でもあると思いますが、応挙と並べることで芦雪の特徴が際立って見えました。
帰宅してからも印象は消えず、応挙との比較で2枚並べて展示してあった孔雀、中国美人、つがいの鹿などを今でも思い浮かべることができます。芦雪の絵のほうが、対象が生身であるという感じが強く出ていた気がします。応挙のほうはとにかく清らかで美しく、舞台の上でスポットライトが当たっているような姿であったのに対して、芦雪のほうは舞台裏というか、手が届く感じがするんです。
愛嬌たっぷり
もう一つ印象的だったのが、子供や子犬やスズメのかわいらしさです。これも、ただ愛くるしいというのではなくて、「ほらね、かわいいでしょ」と見せようとしていないかわいらしさというか、子犬がおっさんのように座っていたり、子供がやりたい放題にいたずらをしていたり、ちょっと脱力して笑ってしまうような感覚でした。
小さきもの、つまり子犬や子供、小さな虫や鳥などをかわいく描くのは、ある意味当然としても、芦雪のおもしろさは、虎や龍、牛や象までを愛嬌たっぷりに描いていることだと思います。目が何とも魅力的なんですよね~。口も、ちょっと微笑んでいるようです。
いろいろな画法に挑戦したり、植物や風景も描いたりしていますが、やはり芦雪の絵の魅力は動物にあるのだろうと私は思います。
無量寺の空間を再現
虎と龍といえば、今回の展覧会のチラシにも採用されている無量寺のふすま絵の虎に関しては、すごい展示空間が繰り広がっていましたよ。
無量寺の実際にふすまがある空間を再現していたんです。その展示室に足を踏み入れると、新しい青い畳の匂いがしてきて、それだけで妙にほっとしてしまいました。
私たち鑑賞者は、その部屋に靴を脱いで上がるわけではないのですが、ちょうど仏壇を前にして畳に座り、左右を見たぐらいの位置に虎と龍のふすまが展示してありました。向かい合わせになった虎と龍の間に自分が入り、仏壇と向き合うというのは、何とも不思議な感覚でした。仏壇から虎と龍が出てきて、私がちゃんとした人生を送っているか、きれいな心を持っているか、品定めしているような感じです。
虎と龍は、ただ単に怖いものではなく、愛情深く見てくれているようなのですが、やはりそれでも、ぴりっと張り詰めた空気が漂う空間でした。それに対して、ふすまの裏側には優しい絵が描かれていました。片方には外の風景と猫、もう片方には寺子屋で学び遊ぶ子供たち。このギャップがまた、懐の深さみたいなものを感じさせました。
五百羅漢、本当に500人いるのか?
最後の最後に小さな作品がありました。3センチ四方程度の本当に小さい紙に、五百羅漢が描いてあるというのです。これは、ブリューゲルのバベルの塔に引き続き、マイルーペが必須です!
横に拡大したものが展示してありましたが、ただ人がぎっしり描いてあるわけではなく、ちゃんと風景になっていて、松や虎まで描き込まれているのには驚きました。本当に500人いるのか、それは全く確認できませんでしたが、まあ、そういう問題ではないのでしょうね。画面上のほうはだんだん薄くなっていて、遠近法で向こうにたくさん人がいるような感じになっていましたから、そこにきちんとみんないるのでしょう。
今なら細いペンもありますが、これを筆で描いたというのですから、本当にすごいことです。芦雪は46歳で亡くなっていますが、亡くなる1年前、45歳のときにこの方寸五百羅漢図を描いていまして、このころが脂の乗り切った時期だったのではないかと思われます。その早過ぎる死の本当の理由はわかっていないようですが、毒殺とも自殺とも言われているとか。破壊的に才能がある人は命を短時間で強く燃やして早く逝ってしまうようで、残念なことです。
いずれにせよ、この展覧会は見て損なし!
11月19日までで会期終了ですので、興味がおありの方は急いで行ってきてくださいね。結構混雑していますので、できれば平日に行っていただくといいのではないかと思います。